十字架の道行き

キリストの受難各場面を黙想しながら行う信心業で、教会内部の壁(屋外に設定されている場合もある)に掲げられた全部で14(全14留)のキリストの受難を表した絵や彫像があり黙想を助けます。

※初台教会の十字架の道行きは、彫刻家 舟越 保武氏 による作品を聖堂に掲げさせていただいており、写真はすべて実際にある初台教会の聖堂内のものです。

この十字架の道行きは「泡ガラス」に線彫りされたもので、作家が40歳の時、カトリック教会で洗礼〈1950年〉を受けて2年後に製作しただけに、若々しく、勢いがあり、芸術性の高い貴重な作品として評価されています。

本来は仙台市元寺小路カトリック教会聖堂のために制作されたもので、1993年に元寺小路教会改築の際に取り外されました。以後、岩手県の萬鉄五郎記念美術館に保管されておりましたが、この度、当初台教会改築にあたり設置が実現しました。

【彫刻家 舟越 保武】

具象彫刻の清楚な作風でしられ、また日本では数少ない大理石彫刻家として特異な存在である。 代表作には長崎の『二十六聖人殉教者像』(1962)、『原の城』(1971)、『ダミアン神父』(1975)、 『ゴルゴダ』(1989)などがあります。

『聖堂の中で厳かな空気に圧され緊張しきって夢中で彫りつける線の一つ一つは、私のものではない。神の御手に添えられているのだ。静まりかえった聖堂の中に、主の御手を背後に感じながら、サラサラと音をさせて彫刀を走らすとき、私の胸は熱くこみ上げてくるのだった。』

《カトリック新聞・昭和27年9月28日号〈舟越 保武 氏)/ カトリック初台教会献堂誌より》

【第1留】 イエス死刑の宣告を受ける


人々は「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男に死刑にあたる犯罪は何も見つからなかった。だから、ムチで懲らしめて釈放しよう。」ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも要求し続けた。その声はますます強くなった。そこでピラトは彼らの要求をいれる決定をした。〈ルカ23・21~24)

なにゆえ、国々は騒ぎたち、人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油そそがれた方に逆らうのか。(詩篇 2・1~2)

【第2留】 イエス十字架をになう


こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわいる「されこうべの場所」すなわちヘブライ語でゴルゴダという所へ向かわれた。〈ヨハネ19・16~17〉

屠り場に引かれる子羊のように、毛を切る前にものを言わない羊のように彼は口を開かなかった。(イザヤ 53・7)

【第3留】 イエス初めて倒れる

「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイ 26・39)

【第4留】 イエス母に会う

道行くひとよ、心して目を留めよ、よく見よ。これほどの痛みがあっただろうか。(哀歌 1.12)

おとめシオンよ、あなたを何になぞらえて慰めよう。海のように深い痛手を負ったあなたを、誰が癒せよう。(哀歌 2・13)

【第5留】 イエス、シモンの助けを受ける

兵士たちは出て行くと、シモンという名のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。(マタイ 27・32)

【第6留】 ヴェロニカ、イエスの顔をぬぐう

だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょうか。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。(ローマ 8・35)

主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。(詩篇 27・1)

【第7留】 イエス2回目に倒れる

神は知恵あるものに恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力あるものに恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位ある者を無力な者とするため、世の無にひとしい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。(コリントⅠ 1・27~28)

【第8留】 イエス、エルサレムの婦人たちを慰める

イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな、むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」(ルカ 23・28)

【第9留】 イエス3回目に倒れる

この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方でなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。(ヘブライ 4・15)

【第10留】 イエス衣服を剥ぎ取られる

兵士たちは、その服を取り、四つにわけ、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。(ヨハネ 19・23~24)

わたしの着物をわけ、衣をとろうとしてくじを引く。〈詩篇 22・19)

【第11留】 イエス十字架に釘づけにされる

「されこうべ」と呼ばれている場所に来ると、人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も一人は右に一人は左に、十字架につけた。(ルカ 23・33)

犬どもがわたしを取り囲みさいなむ者が群がってわたしを囲み、獅子のようにわたしの手足を砕く。骨が数えられる程になったわたしの体を、彼らはさらし者にして眺る。(詩篇 22・17~18)

【第12留】 イエス十字架上に死す

昼12時に全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをおみすてになったのですか」という意味である。イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。その時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。(マタイ 27・45~46/50~51)

わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうともせず、呻き声も聞いてくださらないのか。(詩篇 22・2)

まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。(詩篇32・6)

【第13留】 イエス十字架から降ろされる

ヨセフという議員がいたが、この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるように願い出て、十字架から降ろした。(ルカ 23・52)

【第14留】 イエス墓に葬られる

亜麻布に包み、まだ誰も葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が収められている有様とを見届けた。(ルカ 23・53/55)

彼が自らをなげうち、死んで、罪人の一人に数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、そむいた者のために執り成しをしたのは、この人であった。(イザヤ 53・12)